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きりぎりす鳴くや霜夜の
  さむしろに
    衣片敷きひとりかも寝む

Will none but crickets' voice attend me in this frosty night?
Lying down on shabby rugs, I whisper to my solitary sleeve.

『小倉百人一首』091
きりぎりす なくやしもよの さむしろに
 ころもかたしき ひとりかもねむ
藤原良経(ふぢはらのよしつね)
aka.前太政大臣後京極摂政(さきのだいじょうだいじんごきゃうごくせっしょう)
男性(1167-1206)
『新古今集』秋下・五一八
の降る寒い夜、
コオロギの鳴き声を聞きながら、
いた寝床の上で、
愛する人と寄り添うこともない独り寝に、
一人きりの着物の片袖に包まれながら、
しく落ちて行くのかなあ、今夜の私は。
【文法・修辞法】本歌取り+掛詞+係り結び
...modern Japanese/English part: Copyright(C) fusau.com 2009
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品詞分解
きりぎりす【蟋蟀】<名>
なく【鳴く】<自カ四>連体形
や【や】<間投助>
しもよ【霜夜】<名>
の【の】<格助>
 さむしろ【】<名>・・・「さ筵」
 さむし【】<形ク>・・・「寒し」
に【に】<格助>
ころも【衣】<名>
かたしき【片敷き】<他カ四>連用形
ひとり【一人】<名>
か【か】<係助>
も【も】<係助>
ね【寝】<自ナ下二>未然形
む【む】<助動_推量>連体形・・・「も」との係り結び



修辞法
本歌取り
「わがふるはさず玉の浦に衣片敷きひとりかも寝む」『万葉集』九・一六九二
(私の愛する女性には逢わせてもらえずに、玉之浦の宿所で、私一人の着物の袖だけを枕に、今夜は寝ることになる・・・のかなあ)
さむしろに衣片敷き今宵もや我を待つらむ宇治の橋姫」『古今集』恋四・六八九(よみ人しらず)
(小さなの上に一人着物の袖を枕にして、今夜、彼女は、あの宇治の橋姫は、私を待っているのだろうかなあ)
「あしひきの山鳥の尾のしだり尾の長々し夜をひとりかも寝む『拾遺集』恋三・七七八(柿本人麻呂)・・・『小倉百人一首』第3番歌
掛詞
<さむしろ>
1)「さ筵」
2)「寒し」
解題
 この歌は、その組成の大部分を古歌から取った「本歌取り」。元になった歌としては以下の三つが挙げられる:
 あしひきの山鳥の尾のしだり尾の長々し夜をひとりかも寝む(『拾遺集』恋三・七七八・柿本人麻呂・・・第3番歌
 ・・・『万葉集』(759頃)には「よみ人しらず」として収録されている歌である。
 わがふるはさず玉の浦に衣片敷きひとりかも寝む(『万葉集』九・一六九二・よみ人しらず)
 ・・・これまた『万葉集』の古歌で、「恋しい彼女には逢わせてもらえず、故郷を遠く離れたこの長崎の玉之浦で、一人分の袖の上で、寂しい独り寝をすることになるのかなあ」という内容。日本の南の果てで望郷の念を詠むこの歌は、「中国(唐)からの侵略に備える本土最南端防衛隊として、東国から召集された哀れな農民の慨嘆の歌」つまりは「防人の歌」である。
 さむしろに衣片敷き今宵もや我を待つらむ宇治の橋姫(『古今集』恋四・六八九・よみ人しらず)
 ・・・こちらは時代を少々下った『古今集』(905)の歌。「宇治の橋姫」とは、自分の恋人/妻を「宇治橋の守護女神」に見立ててたもので、その内容は「小さな一枚の上に、自分一人分の袖を重ねて、今宵、私の来訪を待っているのだろうか、あの愛しい宇治の橋姫は?」というもの。上の人麻呂の歌も防人の歌も、どう足掻いても愛しい女性に逢うことは出来ぬ空間的遠距離に身を置く寂しい男の心情を詠ったものだが、こちらは、その気になれば夜這いに行ける(というか、今夜、彼女も待っているだろうから、ひとつ逢瀬洒落込もうか、といった感じの)わくわくした感覚を読み取ることもできる歌で、寂しいんだか嬉しいんだかよくわからない感じである。
 これら三つを組み合わせて一つにしたようなこの第91番歌では、下の句(第三・四・五句)「さむしろに衣片敷きひとりかも寝む」は完全にあり合わせの材料の流用で、独創部は上の句の「きりぎりす鳴くや霜夜の」のみ。「きりぎりす」は現代のそれとは異なり、「蟋蟀」の古名で、「秋」の季語でもある。元歌にはなかった風情としては、この季節感の添加、というのが(一応)ある訳だ・・・が、後続の「霜夜=霜の降りる寒い夜」の表わす「晩秋~冬」の季節感と重複するのだから、さほどの必然性がある語句とも言えない。そんな冗長性を敢えて押してまで「霜夜の」を入れたのは、本歌から取った「さむしろ」に、原義通りの「小+・・・"小"は接頭辞」に加えて「寒+しろ」の「掛詞」による冷涼感を与えるためであろう。
 「本歌取り」の実験歌としては意味があるかもしれないが、歌そのものに新たな生命力が加わっているとは感じられない、そんな凡歌である。
 このように、不発に終わることの多い古歌を引っ張り出しての打ち上げ花火としての「本歌取り」について、この技巧を積極的に推進した父俊成の立場を引き継いだ藤原定家が、どのような心得を説いていたか、参考までに紹介しておこう:
1)<引用句数の上限>
 引く詞は、本歌の三句に及んではならない。
 ・・・この伝で言えば、この第91番歌は失格している訳である(それとも、異なる二歌からの合計が三句、だから、これでもよいのだろうか?)。
2)<引用句の配置>
 引いた詞は、自分の作る歌の上の句下の句の双方に、散らして使うこと。
 ・・・この意味でも、第三・四・五句に引用句をずらずら並べただけの第91番歌は、落第である。
 ・・・なお、この条項を逆に辿れば、「一句のみの引用」は「散らしようがない」ために自動的に「本歌取りに非ず」となる訳である;何とも不自然だが、所詮「本歌取り」を論理的に定義しようとする営み自体がほぼ完璧にナンセンス(・・・反論するつもりなら「現代版盗作論争」に決着を付けてみて戴きたい。アナタにそれが、出来ますかな?)なのだから、軽く流しておけばよいのである・・・「一句のみだから、それは"本歌取り"とは言わないんだよっ!」みたいな「鬼首取柄門」の振る舞いは、元歌をズバリ見抜いた相手の知性に対して無礼であるし、自分自身の品性を貶めるだけの愚挙でもある(もっとも、貶めるだけの高みに元来アナタの品性が在った場合、の話ではあるが)。
3)<内容・情趣の改変>
 主題や季節は、本歌のものとは変えること。
 ・・・三つの本歌にはなかった「晩秋」の季節感を添えている点では、第91番歌は辛うじて合格、であろうか。
4)<歌の詮の引用禁止>
 本歌の生命線とも言える詞をそのまま取って、結局同じことを言っているだけの歌にはしないこと。
 ・・・「旅先にあるので妻と共寝できず寂しい」/「防人として九州にあるので恋人と共寝できず寂しい」/「今頃一人で私を待っているかもしれない彼女が恋しい(・・・ので、これから行っちゃおぅかなー)」という三つの本歌のいずれとも異なり、この第91番歌の「独り寝」には、「愛する女性」の影がない。「本当にこの男、恋人/妻なんているのかなぁ?」と感じさせる恬淡の色が漂う単なる旅愁歌であって、恋慕の感が極めて薄い。この艶めかしい情趣の欠落は、「恋歌」としては決して誉められたことではないのだが、一応、「歌の詮=その短歌の一番大事な肝にあたる部分」を三つの本歌から踏襲していないので、まぁ形の上ではここも合格、ということになるのかもしれない。
5)<本歌(オマージュ先)の明示>
 どの歌を本歌としているのかが明快に判る形で詞を引くこと。
 ・・・と言われても、解らぬ人にはやっぱり判らぬのだから、このあたりになってくるともう「作歌作法」というよりは言い訳めいてくる。そのため、定家は次の6)のようなかなり苦しい付帯条項を加えざるを得なくなっている:
6)<引用元の制限>
 引用する歌の原典は、以下のもののみとする:『古今集』(905)・『後撰集』(950年代)・『拾遺集』(1006)+『三十六人撰』(『拾遺集』と同時期の一条朝時代に藤原公任が選んだ所謂三十六歌仙」の名詩撰・・・名人撰、ではない!)の中の、「上手の歌」。
 ・・・下手な歌は引いてはならない(そんな歌、誰も見向きもしないから、本歌の正体も判らないので)、という訳だが、どう考えても無理がある強弁である。
 このような無理を敢えて言わねばならなかったという事実だけからもわかる通り、「本歌取り」は、心なき(&技能もなき)ヘボ歌人連中によって見境なく濫用され、和歌の爛熟頽廃に拍車を掛ける負の効用ばかりが鼻についたため、後代の歌壇関係者からは軒並み評判が悪い:「昔、あんなことをしまくった連中がいたから、和歌の世界はこんなになったのだ」という感じ、であろうが、このあたりにもまた、「古来伝わるものを踏まえ、その上に、現在~未来の新たなものを加えて行く」という西欧的な「tradition:伝統」や「culture:文化」や「classics:古典」が、日本に於いては生理的に忌避され、侮蔑の対象にすらなっているというお寒い非文化的状況の遠因が、あるのかもしれない。
 ・・・ついでに、「三十六歌仙」についても・・・真の伝統や価値は平然と無視するくせに、こういうどうでもいい「有名無実の数字付き名物」を有り難がる日本人の度し難きビョーキ体質を思えば、敢えてこんな代物言及する必要もないのだが・・・気になる人のために一応、その具体的人物名を、『小倉百人一首』入集/選外に分けて、以下に列挙しておこう(間違っても、こんなのを覚えようとか人前でひけらかして偉ぶろうとかは、せぬように!):
<『小倉百人一首』入集三十六歌仙>・・・歌番号順:
柿本人麻呂山部赤人猿丸大夫大伴家持小野小町僧正遍昭在原業平藤原敏行・伊勢・素性法師・藤原兼輔源宗于凡河内躬恒壬生忠岑坂上是則紀友則・藤原興風紀貫之平兼盛壬生忠見清原元輔・藤原敦忠・藤原朝忠源重之大中臣能宣
<『小倉百人一首』選外三十六歌仙>・・・生年順:
大中臣頼基(886?-958)・源公忠(889-948)・藤原清正(?-958)・源信明(910-970)・源順(911-983)・中務(912-991)・藤原仲文(923-992)・斎宮女御(929-985)・藤原高光(940-994)・藤原元真(?-?)・小大君(?-?)
 という訳で、「本歌取り」としても決して成功例とは言えぬこの91番歌の作者は、九条良経(1169-1206:「後京極良経」と呼ばれることが多い)。京都の朝廷と鎌倉幕府の間を取り持って一時大きな勢力を誇った「摂政・関白」九条兼実の次男で、「摂政太政大臣」(従一位)にまで出世したが、38歳にして暗殺されてしまった人である(・・・犯人は不明・・・いかにも鎌倉初期らしい血腥い話ではある)。
 後京極良経は当代屈指の能筆家として知られ、彼の書風はその後「後京極流」として引き継がれることになる。
 歌の世界に於いては、伯父に当たる慈円第95番歌作者)の幅広い交流ネットワークを生かして頻繁に歌会を開き(藤原俊成・定家親子の「御子左家」とのつながりが深かった)、そうした中から生じた和歌の新風が、やがて『新古今和歌集』(1210年代成立)へとつながって行く。勅撰撰進のための「和歌所」に召集された「寄人」の中でも、この良経は「筆頭寄人」で、漢詩に通じた天才的書道家として、同集「仮名序」を著したのも当然、後京極良経であった(・・・集の成立前に暗殺されたので、撰者として名を連ねることはできなかったが)。
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