解題
「やすらはで」は、現代人は「安らぐことなく・・・不安な状態で」と錯覚しそうですが、実際には「やすらふ=ためらう」なので「ためらうことなく・・・安心して」です。「なまし」は「できれば・・・たい」という反実仮想表現で「本来ならば、何のためらいもなくぐっすり熟睡していたかったのに」、この人は何故か「
夜更けまで、月が傾くまで、ずっと寝ずに起きていました」というのです・・・何故でしょう?・・・答えは「あなたが、すぐ会いに行くよ、と言ったから」・・・どこにそんな事が書いてあるのでしょうか?・・・この歌の中にはどこにも書いてません。書いてないけど、『
小倉百人一首』
第21番歌「いま来むといひしばかりに
長月の有り明けの月を待ちいでつるかな」の
素性法師(『
古今集』恋四・六九一)が代弁してくれてます:つまりあの歌の「本説取り」なのです、この歌は(だから、あの歌の情趣を知らない人にはちんぷんかんぷんの歌でもあります)。
藤原
道長が、一条天皇に
嫁がせた娘(=
中宮彰子)のために
選りに
選り抜いた
後宮サロンの才女たちの一人、
赤染衛門(・・・血染めのドラえもん、みたいな名ですが、女性です)が、藤原
道隆(・・・
中宮彰子のライバル格たる一条天皇の
正妃の
定子の父で、
道長の兄)に逢い引きの約束をすっぽかされた自らの姉のために(二十歳前後の頃に)代詠したものです。借り物歌、かもしれませんが、「来る」と言って来なかった男への
恨み言を、直接相手にぶつけることはせず、「おかげで長いことお月様鑑賞にいそしんでしまいました」とやんわり言うあたり、歌にはやはり
詠み手の体質がよく顕われる、という好個の一例でしょうね(もっとも、お姉さんの
心証を悪くするようなキツい歌を代詠する妹もそうそうはいないでしょうけど・・・)。
こうした「あまり美しくない出来事を、やんわり
綺麗に表現できる」才能を見込まれて、でしょうか、この
赤染衛門女史、豪腕(強引?)政治家藤原
道長を中心とした藤原氏の
栄華の歴史を文芸的に
綴った『
栄花物語』(正編)の作者として大
抜擢され、見事にその大任を果たしています・・・彼女の仕事ぶりを
道長がいかに高く評価していたかは、彼の知恵袋とも言われた当代第一級の学者の
大江匡衡を夫としたことからも
窺い知れます。当初、赤染さんは
匡衡との結婚を望んでいなかったという逸話もあり、そのあたりの事情も、この婚儀には
道長さん側の意向が強く働いたのではないか、と勘ぐらせてくれます。
また、当時に於ける女流歌人としての位置付けは、あの天才
和泉式部よりむしろ
赤染衛門の方が高かった、というあたりにも、
道長さんの信任の厚さが(彼の威光を気にする当時の文化人達の心理に作用する形で)反映されていたのかもしれません・・・まぁ、
佳い歌を
詠む人であったことは確かで、才人にして善政の人として
誉れ高かった夫ともども、
良妻賢母の
鑑として、後々まで語り継がれて人気があった人です。