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いま来むといひしばかりに
  長月の
    有り明けの月を待ちいでつるかな

"I won't take long," ― your words I took as true
Kept me up through the night alone with the moon
Hanging up in morning sky wondering how to close the night.

『小倉百人一首』021
いまこむと いひしばかりに ながつきの
 ありあけのつき をまちいでつるかな
素性法師(そせいほふし)
男性(?-c.910)
『古今集』恋四・六九一
あなたが「すぐに会いに行きます」と言ったばかりに、
秋の長夜を一人きり、
待てど暮らせど来ぬあなたに待ちぼうけを食わされて、
白みはじめた空に沈みもせずに居残る夜明けの月を、
見送る羽目になってしまいましたよ。
...modern Japanese/English part: Copyright(C) fusau.com 2009
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品詞分解
いま【今】<名>
こ【来】<自カ変>未然形
む【む】<助動_意志>終止形
と【と】<格助>
いひ【言ひ】<他ハ四>連用形
し【し】<助動_過去>連体形
ばかり【ばかり】<副助>
に【に】<格助>
ながつき【長月】<名>
の【の】<格助>
ありあけ【有明】<名>
の【の】<格助>
つき【月】<名>
を【を】<格助>
まちいで【待ち出で】<他ダ下二>連用形
つる【つる】<助動_完了>連体形
かな【かな】<終助>
解題
 古文(詩文/散文ともに)を読む時に最も苦心させられ、きの元ともなるのは、「見えない主語」の割り出しであるが、この歌も、初句・第二句と、第三・四・五句とが、別の主語を持っている点に気付かないと、何がなんだか解らなくなる構造的特性を持っている。
 冒頭の「いま」は、「もうじき」の意味であって「今」ではない(このあたりの中古の緩ーい時間感覚は、在原行平第16番歌に於ける「まつとし聞かばいまかへり来む」にも見られる)。「来む」は現代語風に言えば「行こう」であり、相手の立場に視座を置いて述べるこの言い方は、現代日本語よりむしろ英語の"I'm coming (to you right now.)"にこそ近いのが面白い。いかにも日本語らしいのは直後の「言ひしばかりに」に主語がない点。字数に制約のある和歌だから当然と言えば言えるが、散文の中に於いても現代に至るまで日本語の一大特徴を成す「主語欠落」が、解釈者の誤解を誘い易い箇所である:正解は「(あなたが)もうすぐ君のところに行くよ、と言ったばかりに」である。ここまでが「あなた」を主語とする部分。この後の第四句以降では「私」が主語に変わる。
 「長月の有り明けの月」は「陰暦九月の夜明け時、まだ沈まずに明け方の空に残っている月」で、前夜の余韻を漂わせる自然の情景として歌には付き物の「(平安前期~中期の本義に忠実に用いた場合の)歌枕(=歌題・情趣)」。九月の秋の夜は、「長月」の名が付くだけあって実に長い。その秋の夜長を待ち通して、待ちぼうけ、気付けば夜明けの時間帯、「すぐ来る」と言っておきながら来てくれぬ相手にすっぽかされて虚しく一人夜を明かした詠み手の心理を投影するが如く、もう朝の時間帯の空に引っ込みつかずにグズグズ居座っている間の悪い存在としてぽつり寂しく頭上に浮かんでいるのが「有り明けの月」である。「満たされぬままにもう朝になったけど、自分としてはこのままじゃ終わりたくない・・・けど、もう終わるしかない」という余情をこの自然の風物に託しつつ、この詠み手は、自分自身の心情を述べることを全くしていない。「寂しい」とか「虚しい」とか「拍子抜け」とか、言いたいことは山ほどあるなのに、、恨む言葉が山ほどあり過ぎるからこそ、詩人は一言、こう言うのだ:「あなたをずっと待ってるうちに、夜明けの残月を見送る羽目になっちゃいましたよ」・・・事実を淡々と述べるだけのこの詩の、叙景の陰に込められた叙情、これこそが、直情径行ならざる理知的「古今調」和歌の最大の特性である。
 そしてまた、この歌が、「女性の立場に仮託して男性が詠んだ歌」であるというその虚構性にも注目すべきであろう。平安時代の男女の恋愛形態は、夜、部屋で待つ女を男が訪れるという「呼ばひ・・・婚ひ・・・後代宛字だと、夜這ひ」であり、結婚形態は、女性と男性が同居せず、女性が一人暮らす家を男が折々訪れて夫婦生活を営む「妻問婚」であった。が故に、古歌で「待つ」と言えばそれはほぼ常に「女性が男性を待つ」なのであった。その立場で詠まれた歌でありながらも、作者「素性法師」は男性なのである。歌というものが、眼前の実景や当人の偽らざる心境を述べる『万葉集』的な姿に留まらず、仮想的な場所や状況を念頭に置いて詠む「題詠」や、他者の立場で代作する「代詠」が、『古今和歌集』当時には既にもう一般的であったという事情を感じさせるに十分なヴァーチュアル・リアリティ(virtual reality=仮想現実)に基づく作品であり、このあたりの物語性もまた「古今調」の特徴の一つである。
 作者素性法師の父は、あの「六歌仙」なる呼び名で知られる歌人達の一人「僧正遍昭俗名良岑宗貞)」。当然、彼が出家して僧侶になる前に作った子供である(女色を禁じられているの僧侶が子を成すのは、後代日本の生臭坊主にはよくあることだが、この時代の坊さん達はもう少しマジメだったらしい)。彼は何も自ら望んで出家した訳ではなく、父に強制されて(弟の由性法師ともども)俗界を捨て去ることを余儀なくされたらしい。俗名不明(一説に、良岑玄利)、生没年も不詳だが、『古今集』(905)が世に出た直後までは存命していたらしい。
 そのように個人的プロフィールはあまりパッとしない素性だが、歌人としての彼はあの華やかな父の遍昭を軽く超えている:『古今集』入集数では僧正遍昭(17)に対し、息子の素性法師は実に37首入集で倍以上、この数字は編者四人以外では断トツの首位であり(二位は在原業平の30首)、集全体の中でも編者の一人壬生忠岑(37)と同着四位である。この輝かしい入集数は、彼の歌の優秀さのしでもあろうが、もう一つの理由として、素性法師は、漢詩・和歌の会の開催地として有名な「雲林院」とのつながりが深かった、という事情もありそうだ。この寺は、あの有名な『大鏡』の"around二百歳"おじいさんコンビ、大宅世継(推定190歳)と夏山繁樹(推定180歳)が、第55代文徳天皇から第68代後一条天皇までの日本の宮廷史を、藤原北家(特に、道長)を軸に語り聞かせる舞台となった場所でもある。元々は、常康親王仁明天皇の子)が出家後にその根拠地とし、親王の文芸好き故に当時の歌会の一大拠点となった寺で、僧正遍昭素性法師親子は、そこへの出入りを許されたのみならず、親王の死後は遍昭が、その死後は素性が、寺そのものの管理をも任されている(素性は後に大和の「良因院」に移ることになる)。そんな「歌人たちの甲子園」とも言うべき寺の関係者(後に、管理者)として枢要な地位を占めた素性法師は、『古今和歌集』編纂時に於ける現役歌人としては、最大の人物の一人であったろうし、彼の提供する「生きのいい当代の短歌」は、古今編者にとっては大変な貴重品だったなのだ。なにせ、『古今集』を編むにあたり、編者達は、収集された和歌(特に古い時代の短歌)に、直情径行な恋歌が多すぎる、という事実に相当頭を悩ましており、歌集としての格調を保つためのやむなき措置として、編者である自分達四人 ― 先述の壬生忠岑(37)のほか、紀貫之(105)・凡河内躬恒(62)・紀友則(46) ― の歌だけで250首と、歌集全体(1111首)の実に4分の1近くを補わねばならなかったのであるから。・・・後代の和歌の隆盛のみを知る者にはにわかに信じ難い話であろうが、『古今和歌集』が世に出る前と出た後とでは、和歌を巡る状況は、それほどに違っていたのである。・・・それほどの大変革をもたらすまでに、日本初の勅撰和歌集『古今集』の役割は、絶大だったのである。
 最後に、この歌は、『小倉百人一首第59番歌赤染衛門作「やすらはで寝なましものをさ夜ふけてかたぶくまでの月を見しかな」の「(平安前期的意味に於ける)歌枕」となっている点を指摘しておこう。あちらの歌も、赤染衛門自身の境遇を詠んだものではなくて、彼女の姉が藤原道隆に待ちぼうけを食らわされた際の「軽い恨み言」の代詠として作られたものであるから、その虚構的作歌事情に於いてまで律儀にこの素性法師の21番歌を枕にしながら寝ずに夜明かしして月を見ている点がまた、面白い。
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