解題
時は、平安中期の堀河帝時代。男性がまず女性に恋歌を贈り、女性が男性に返歌を詠み返す、という中古貴人の恋愛模様を、畳の上の
歌合せの席でヴァーチャルに再現してみよう、という趣向の「
艶書合」などという何とも色めいた催しが、天皇ご自身の主催により行なわれていた、実に
雅びな時代でありました。
先行する藤原
俊忠が、まずこう詠み掛けます:
人知れぬ思ひありその
浦風に
浪のよるこそ言はまほしけれ
心(・・・「うら」と読めば「浦」と同音で、そのよしみから間接的に「波」へとつながる「
縁語」)の底に人知れず
貴女への思いを寄せてきたこの私ですが、今日という日の夜(・・・よる・・・を通して「寄る」経由で「浦・波」へとつながる「
縁語」)こそは、
貴女にその思いを伝えたく思います。そして、浜辺に波が寄るように、
貴女に寄り添ってこの夜を過ごしたく思います。(ここでの「言ふ」は単に「言う」ではなく「求愛する」の意)(「ありそ」は「(思ひ)在り(そ)」/「荒磯」の
掛詞)(「いは:言は」は「岩」を介して「浦」につながる「
縁語」)
技巧をまぶしてスラスラと詠み掛ける流麗な歌の響きのその裏に、こういう恋の小道具を幾つも駆使して、色んな女に寄せる浮気な波を、さぞやしばしば吹き送る
浦風サンなんでしょうね、この男は・・・というような
徒なる匂いを、感じません?
これを受けて、我ら女性陣代表、
祐子内親王家紀伊(別名、
一宮紀伊)チャン、やはり
不実の波動を感じたのでしょう、
小粋な返歌で男をソデにしてみせます:
「
高師の浜」って、有名なんですってね、「無意味にやたらと波が立つ」って。・・・わたし、いやだわ、そんな浜辺に近寄るのは。だって、意味もなく立つ波を引っ掛けられて、着物の袖が濡れたら困るでしょ。・・・どうせ浮気な恋の誘いに引っ掛かった末に、涙で袖を濡らすのも、ごめんだわ。
勝負あった!一本!きいちゃんの勝ち!って感じ。
いいなあ、こういうの。・・・女なら、バシッと決めてみたいと思いません?・・・カッコ(だけ)つけて女に言い寄って来て、これだけキメればバッチリ、もうオレのもの、みたいな
自己陶酔でこっちを既にもうおいてけぼりにして自分だけ先走ってるのにも気付かないで、「さぁ、早く、おいで」みたいな顔してるイヤなオトコのニヤけた横っ面を、言葉の
平手打ちでピシャーんってはねつける、優雅なる護身術としてのこの袖歌・・・うーん、うっとり。・・・え、
自己陶酔?・・・いいでしょ、女だもの。こういう
陶酔は恋の香水、
すっぴん強要されるおぼえは、ありません・・・でも男子は、香水だの
陶酔だのに走って素顔が見えないヒトじゃ、ダメ。ムードを出してくれるのは嬉しいけど、盛り上げたムードに比して、肝心の中身のなさが目立つようじゃ、まったく逆効果。外見でも言葉でも、御化粧は女の特権なんだから、男の人はその使い方を間違えてもらっちゃ、ムード台無しなんだから・・・。
なんか、この歌といい、
周防内侍の「春の夜の夢ばかりなる
手枕にかひなく立たむ名こそ惜しけれ」(
67番歌・・・相手の男は藤原
忠家さん)といい、
小式部内侍の「
大江山いく野の道の遠ければまだふみもみず
天の橋立」(
60番歌・・・相手の男は藤原
定頼さん)といい、平安中期って、頭のいいイイ女には、とってもいい時代だったような気がしますねー。周りには、高貴でそこそこ魅力的な男性が沢山いて、出会いや誘惑も山ほどあって、それなりに
持て囃されて、アソばれちゃう危険もあるけど、いざという時にはこういう歌できれいにキメちゃえば、男性からの冷やかしも
腕枕も
徒波も、
お行儀よくすごすごと退散して、上品な笑い話になっちゃう。・・・平安な時代には、やっぱ、女こそ主役!そんな気がする優雅な歌でした。